忘れがたき「こども七夕」
市内で開かれる夏祭りの一つ、子どもが主役のお祭り「能代こども七夕」。
各町内で灯籠を作り、それを乗せた台車を山車として引っ張って、市内を練り歩く。
こども七夕の灯籠は、子どもたちが喜びそうな、流行りのアニメキャラクターがモチーフとしてよく選ばれる。各町内の灯籠がずらりと並ぶ祭り当日は、そのお披露目会でもあり、よその町内と見比べては、自分の町内に軍配を上げていた。贔屓目もあったかもしれないが、一種の町内愛だ。
夕方になると、田楽(でんがく)、笛、太鼓、引き手(山車)の各パートに分かれ、町内ごとに行進する。
田楽は、藁のクッション(通称「さんだらぼっち」)を頭にあて、その上に直方体の灯籠を乗せる。
笛は、お囃子を奏でるメインパート。笛の旋律に合わせて、田楽が「アーワッセーワッセー」と合いの手を入れる。
太鼓は、一つの大太鼓を3~4人で持ち、一本バチで威勢よく叩き鳴らす。その音と振動は、沿道にまで響き渡る。
しんがりを務める山車は、引き手の「ワッショイ」のかけ声とともに、ゆっくりと前に進む。
当日は、指導をしてくれる大人たちや、笛や太鼓のお兄さんお姉さんたちが、いつにも増して、かっこいい。
日が暮れて、灯籠に灯りがともると、山車が一層の際立ちを見せる。同じく灯りがともされた、2筋の田楽灯籠の行列は、そこに描かれた文字どおり「天ノ川」のようにも見える。幻想的な空間の中、「ここからが本番」と言わんばかりに笛や太鼓が勢いづき、引き手たちをも奮い立たせる。
定番ではないが、一度だけ、田楽の最前列で、高張提灯を持たせてもらった。普段は大人が持つもので、これがまた妙に重い。持ち手となる竹竿は、背丈の倍近くあっただろうか。竹の先には町名の描かれた提灯がぶら下がり、バランスを取るのが難しい。いつも以上に疲れはしたが、良い記念になった。
それは私がその町内に出る最後の年で、その後は、自宅が区画整理の対象となり、仮住まいが続いて、気づけば町内も変わり、そうこうしているうちに大きくなってしまったため、こども七夕もそれを機に卒業となった。
七夕当日ももちろん楽しかったが、灯籠を作る大人たちと交流する、作業場での時間も、なかなかおもしろかった。
私が住んだ町の作業場は、当時、公園の地下駐車場の一角。
夕飯を食べ終わった子どもたち、仕事終わりの大人たち、徐々に人が集まってくる。
メインとなる山車の大灯籠は、大人たちが得意分野を活かして作る。
まずは骨組み。立体的な輪郭を竹や木材で、結合部分に凧糸と針金を用いて形作る。
灯籠の照明を骨の内側に取り付けて、次は紙張り。でんぷん糊をさらに液状にして、ハケを使って骨に塗り、輪郭に合わせて和紙を張る。
そして蠟描き。鉛筆などで描いた下絵線を、溶かした蠟でなぞり、和紙を半透明にすることで、灯籠の中のロウソクの灯りを魅せるための手法だ。同時に、絵付けの際に色が重ならないようインクをはじく役目も果たすため、照明具が蛍光灯や電球に変わった現代でも、輪郭線として使われている。
最後に絵付け。墨汁、食紅、絵具、近年は化学染料も使って、色付けをする。
それは、文化祭の準備期間のような楽しさで。子どもたちは手伝いそっちのけで、毎日、遊ぶ。アイスを買いに行ったり、人数が多い日は、公園で手持ち花火を楽しんだりもした。
作業場で会って話した大人たち、一緒に遊んだ子どもたち、みんな大好きだった。
こども七夕は毎年8月初旬に開催され、今年8月1日に第60回を迎える。
しかし、先日、少子化と運営側の高齢化を理由に、今季限りでの運営終了が発表された。今後も意見交換はされるものの、来年以降の開催は未定という。
思い出が詰まった夏祭りが一区切りとなるのは残念だが、別日に行われている「能代七夕 天空の不夜城」にこども七夕を組み込むという案が、早くも出ているという。
そこに期待を込めて、最後に、七夕のかけ声(音頭上げ)で締めくくりたいと思う。
町内や人によって、若干異なるが、町内の集会所から出発する時や、休憩から行進を再開する時に使われる。
「エンヤードッコイ、ヨーイドッコイ、ヨーイドッコイナ~、ソーリャ~」
ありがとうございました。