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旧田代小学校を後にして先に進むと、やがて集落の外れに鳥居が見えてきました。
普段から社寺にも製品を納めていることもあり、鳥居や神社を見かけると、何はともあれまずはお参りしておかなければ、、という気になります。地図で確認すると「田代神社」さんのようです。
階段を登ると社殿が二つ並んでおり、こちらは比較的新しい方。
そして古い方。老朽化して建て替えたのかもしれませんが、古い方を取り壊さず残しておく意味が何かあったのでしょうか。
参拝に来た人が間違って中に入らないようにするためなのか、それとも逆に中から外に(何かが)出て来れないようにするためなのか、パレットなどが無造作に置かれ、とてもミステリアスな雰囲気に、、、(好物)
建物の随所に丁寧な彫刻が施されていて、新しい社殿よりも迫力があります。小さな神社だけれど、何となくこの神社を祀った人々の想いの深さが伝わってきます。
しかし山あいの集落の神社に 水を司る龍神の彫刻、、、何となく違和感が。これは集落の脇を流れる田代川と関わりがあるのでしょうか。それとも江戸時代の有名な紀行文作家・菅江真澄も訪れたという、集落の側の森の中にある湖「田代潟」の神を祀っているのだろうか、、、
よく見ると、ここにも波や水をモチーフにした彫刻、その上に咲いているのは蓮の花でしょうか。これはやはり、田代潟と関係が深そうです。田代潟をネットで調べてると(田代潟|wikipedia)この湖にまつわる伝説が非常に多く残されていることを知りました。
水不足の年は、湖の主に雨乞いに行ったり、自ら湖の主になるため水の中に入っていった人もいるらしく、集落や、その周辺の人々にとって、この湖は特別な場所だったようです。
1977年にまとめられた「二ツ井町史」によると、修験者への恋が叶わず湖に身を投げた集落の女性の霊を慰めるために湖畔に「白藤神社」を建てたとありますが、google mapで調べても湖周辺にそれらしきものは見当たりません。でもWikipediaには写真が載っている、、、ン~これは一度現地に行かざるをえまい。
というか、この古い方の社殿は、もしかすると田代神社ではなく白藤神社の分社なのかな、、、とすれば社殿が二つ並んでいることにも説明がつくンだろうか、、、、、、
などと考察を楽しんでいると、ふと神社脇の草むらに、何かごちゃごちゃとした墓石のようなものが置かれているのに気がつきました。
これはもしや
庚申塚(こうしんづか)きたーーー!
判読可能な範囲では、一番古いのは昭和13年、新しいのだと昭和43年とあるので、50年ほど前まで行われていたようです。
というか、庚申塚とは「庚申信仰」に基づいた思想・行事で、60日に一度やってくる庚申の日、寝ずに集まって語り合ったり、宴会をして過ごし、それを3年、18回続けた記念に建てられる石碑のことです。
でも何でそんなことをしたのかというと、人間の体の中には三尸(さんし)という虫が住んでいて、そいつが2ヶ月に一度、人間が寝静まった後に体を抜けて、天に座す神に人間の悪行を密告に行くんだそうです。
それを防ぐため、庚申の日は寝ずに過ごすという古代の慣わしだそうですが、神社などで見かける三猿(見ざる・言わざる・聞かざる)は、三尸=三猿であり、この信仰に結びついているんですね。
時代とともに宗教色が薄れ、「寄り合い」のような、集落の結束や、仲間意識を高めるための村の行事として行われるようになったそうです。
さらに、村はずれの道端などに置かれることで、集落に悪いものが入ってくるのを防ぐための、塞神(さえのかみ)の役割を担っているのだとか。お地蔵様と同じです。
それにしてもネットや本ではなく、実物を見るとやはりテンション上がります。これぞフィールドワークの醍醐味。男のマロン(栗)。
苔むした古代の石碑、狛犬、道祖神など大好物なんですよね。
何時間でもここで過ごせそうですが、まだ先は長いので、1時間ほど満喫して後にしました。
後編につづく