
新年(と言ってもすでに月末ですが)明けましておめでとうございます。
本年も大榮木工とshinboku、そしてshinboku magazineをよろしくお願いいたします。
皆様は、今年のお正月に初詣に行かれましたでしょうか?私はここ1〜2年はサボり気味でしたが、今年はバッチリ元旦に行ってきました。遥か江戸時代より、我ら向能代の民の産土神をお祭りする、向能代 稲荷神社に。

古い能代橋を渡って向能代に入ると、すぐ右手に見えてくるのが、向能代稲荷神社です。今ではすっかり寂れたエリアですが、50年ほど前は、隣にお寺があって、裏には小学校や食堂があり、さらに火葬場まであったりして、向能代の町の機能が集約された場所だったそうです。
祖父がまだ生きていた頃は、大晦日になると祖父の家に親族が集まって、皆で年越しの宴をして、「紅白歌合戦」を見た後に、稲荷神社まで歩いて二年参りに行くのが能登家の恒例行事でした。そして年が明け、二日から始まる地元の百貨店の初売りセールで、おもちゃの福袋を祖父に買ってもらうことが、冬休みの一番の楽しみでした。あの頃はまだ街に活気があり、年末年始は街の道路という道路が大混雑し、すれ違うのも困難なほど、店に人が溢れていました。あんな時代はもう二度と来ないのでしょうね。
話を戻すと、昨年12月、向能代稲荷神社の鳥居の改修を弊社で行いました。
昭和に建てられた老朽化したコンクリート製の鳥居を撤去し、新たに木造で作り直すプロジェクトです。当社の会長の指揮のもと、作業が始まりました。

当社と長年お取引があり、社寺建築を得意とする愛知県の企業に全面的に協力していただき、伝統的な「稲荷鳥居」を製作しました。稲荷鳥居の特徴は、柱の上端に丸い車輪がついていることで、別名「台輪鳥居」とも呼ばれています。
ちなみに能代鎮守 日吉神社さんの鳥居は、最上部に合掌型の屋根がついた「山王鳥居」です。鳥居にも様々な様式があります。


また神社といえば思い浮かぶのは、この伝統的な朱色。「べんがら」と呼ばれる顔料です。土中から採取された酸化鉄を主成分とする顔料で、縄文時代から使われていたそうです。
江戸時代になると、ベンガル地方(バングラディシュ周辺)から輸入されていたため、「べんがら」と呼ばれるようになりました。赤は魔除けの色なので、縁起を担いで使われています。当社の塗装工場で、三種町の塗装業者さんたちに手伝ってもらい、丁寧に塗装しました。

粉雪が舞う12月下旬の寒空の下、市内の宮大工さんにも手伝っていただき、黙々と作業が進められます。あらかじめ工場で仮組していたので、寸分の狂いもありません。









この日風が強く、鳥居に神額(神社の名札)をつけるのは断念しました。
後日取り付けして完成した姿がこちら。

堂々たる佇まい。
木製の鳥居の耐用年数は、一般的に20年前後と言われていますが、青ヒバの無垢材で作った鳥居なので、何年かごとに塗装のメンテナンスを続ければ、最低でも30年はもつと思います。30年後といえば、自分がちょうど今の会長の年齢になる頃。



人の一生は儚く、去りゆく者はいずれ忘れ去られていく運命ですが、地域の人々によってこの神社が守られ、受け継がれていくことで、今回のプロジェクトに携わった人々の想いは、これからも生き続けていくことでしょう。
でもいずれ人口減少がさらに進めば、神社やお寺にお金が集まらなくなって、管理する人もいなくなり、やがて打ち捨てられるしかなくなるのかもしれません。そして町に残るのは、不気味なプロペラの尖塔だけなのでしょうか。そんな未来は寂しすぎますね。





しかし寂しさは、悲しさとイコールではありません。
30年後、この場所が今よりさらに廃れてしまっていたとしても、自分はここを訪れ、父や母、祖父母や多くの人たちのことを思い出して、温かい気持ちになると思います。
我が子や孫の、そんな未来のために、会長は、今回の事業を引き受けたのでしょうか、、、まぁ、それほど単純なお人よしではないのが、父という人間の魅力でもあったわけですが。

凍える寒空の下での作業でしたが、最後はとても温かい気持ちになりました。
修復に携わってくださった皆様、ありがとうございました。

