創業期
かつて東洋一の木材の都「木都」と呼ばれた秋田県能代市で、昭和22年5月1日に大榮木工所(後の株式会社大榮木工)は誕生しました。
創業者は能登 栄一、著者の祖父になります。大正9年に能登家に次男として生まれましたが、長男が夭折したため事実上の跡取りとして育ちました。
18歳の時に病気で父を亡くし、それから4年後に母もまた失い、自分と妹3人だけが残されたときは、悲し過ぎて涙も出なかったと日記に残しています。
能代工業の機械科を卒業した祖父が、最初についた仕事は国鉄の機関士でした。山形鉄道管理局に配属となりましたが、母の死をきっかけに退社、妹たちを育てるために能代に戻り、終戦間際に軍の要望で建設された松下造船・能代工場に入社しました。
莫大な量の秋田杉を使って建てられた、間口55m、奥行180m、高さ33mの超巨大な木造の工場だったそうですが、タバコの火の不始末で呆気なく全焼し、わずか2隻しか送り出せなかったそうですから酷い話です。
そんな紆余曲折を経て、昭和22年に大榮木工の前身となる、大榮木工所が設立されました。
創業当初は建具屋ではなく、建具屋に材料を供給する「小割り屋」からのスタートでした。当時、妻(祖母)の実家が桶樽の製造や、小割り業を営んでおり、木工は素人同然の祖父に、製造のノウハウと、商売のイロハを教えてくれたのは義理の父だったそうです。
しかし始めてはみたものの、細々とした部材を作って売るよりも、自分たちで最終製品を作って売った方が儲かると思ったのでしょう。わずか2年で小割り屋をたたみ、建具屋として再スタートしました。
この後すぐに、戦後の復興に向けて日本全国で住宅需要が高まり、空前の建具需要が巻き起こりました。
つづく